太陽肛門スパパーン+ザ・ヒメジョオン アルバム
「アトミックサンシャインー河馬と人間」
2015年8月19日リリース!購入・聴取・討議よろしくおねがいします。
DON’T FEEL!THINK!!
日本を代表する映画監督/脚本家の荒井晴彦さんより、貴重なアドバイス・コメントいただきました。ありがとうございます。精進します。
俺、英語が分からないのに英語の歌ばかり聞いてきた。だから、歌詞なんてどうでもいいと思ってるわけじゃない。歌は結局、メロディーじゃないのかと思っているのだ。特に歌詞が主張しているプロテストソングではメロディーが勝負なのではないだろうか。昔、五木寛之が「インターナショナル」だか「国際学連の歌」の歌詞は忘れたがメロディーは覚えていると書いていた。俺もそうだ。花咲よ、メロディーだよ、口ずさめるサビだよ。ボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」「ゲット・アップ、スタンド・アップ」、ジョン・ホールの「パワー」、ピーター・ガブリエルの「ドント・ギブ・アップ」……。花咲よ、ディランと岡林に戻ろう。そして、放送禁止のヒット曲を作れよ!
ー荒井晴彦(映画監督/脚本家/「映画芸術」編集長)
詩人/映画評論家の稲川方人さんから射程の深い素晴らしいコメントいただきました。
2011年3月直後に「フクシマ・プロジェクト」なるものを立ち上げた人々、それに関わった人々を、「白河の関」からそれほど遠くはない町に生まれ育った私は心底憎んでいます。その憎悪は殺意と同じものです。思いがけない美しさと親和力を持った花咲政之輔らボーカルとコーラスの歌声を前にこんな悪態をつくのはふさわしくないですし、悪態に日々をやり過ごしているいまの私が堕落しているからなのですが、政権政党の虚構の法を前に数万の人々が国会を取り囲んで「反戦」を唱えている様子を見て、私の殺意は増幅してゆきます。この法案成立に対峙して「反戦」を唱えることがいかに短絡的か、いかに権力に従属的か、いかに未来を危うくするか、誰も言わないのは何故なのかと悲しいのです。いまわれわれが緊急にすべきことは、終わらない資本主義への殺意をこそあらわに声にすることだとなんで誰も言わないのでしょうか。それは、永遠に敗北に終わる殺意ですが、しかし、いまその殺意が緊急なのです。「原発」も「戦争法案」も、そう遠くはない将来に国家形態の変動を余儀なくされているこの国の資本主義の方向にこそ見えるものなのではないでしょうか。その都度終わりを先送りされる資本主義への殺意においてしか私には未来が見えません。『アトミックサンシャイン 河馬と人間』から瞬間的に受け取ったのは、そんな堕落した私の殺意への優しさに溢れた同意でした。
長いコメントになってしまいましたが、もし許されるなら、このコメントの本来の趣旨であります、楽曲へのシンパシーをまた改めて送信したいと思っております。
ー稲川方人(詩人/映画評論家)
批評家/HEADZ代表の佐々木敦さんから素敵なコメントいただきました!
佐々木さんにはTwitterでもいかしたコメントいただいています。
https://twitter.com/sasakiatsushi/status/637132947951190016
とにかく「音楽」としての懐が途轍もなく広く深い。
太陽肛門スパパーンは日本ポピュラー音楽の隠れた至宝である。
ここには多くのミュージシャンが忘れてしまった、忘れたふりをしている重要な何かが沸々と漲っている。
ー佐々木敦(批評家/HEADZ代表)
映画監督/脚本家の井土紀州さんからいかしたコメントいただきました!
一九九八年に発表された太陽肛門スパパーンのファースト『馬と人間』は、同時代の表現の中で最も衝撃的なものだった。あれから、十七年。花咲政之輔は路上や深夜のファミレスで地道なフィールドワークを積み重ねながら、ついに新作を完成させたのだ。
一九九〇年代後半、女子高生だった森山花子やのりこ、啓子たちももはや三十路。福島県川俣町で悶々とした青春を送っていた渡辺朋徳は、今どうしているのだろう? 除染作業員として働いているのだろうか?
新作では彼女たちの現在が痛烈に描き出され、『馬と人間』と続けて聞いていると、サーガともいうべきその音楽世界にめまいを覚える。
九〇年代には、遠い昔だった東京オリンピックが、近い未来となった今こそ、スパパーンの音楽はリアルに響く。
ー井土紀州(映画監督/脚本家)
革命的な批評家、絓秀実さんからニューアルバムに関してコメントいただきました!
映画監督の七里圭さんより素晴らしいコメントいただきました!
映画も最高ですが、七里圭さんの映画は音楽も抜群に素晴らしいのです。
花咲政之輔は日本のザッパだとかねてから思っていたが、今回のアルバムを拝聴してますます確信した。しかも、それは秘宝館に飾られているザッパの蝋人形というイメージである。シュールでかつセンチメンタルなのだ。昔、助監督の同僚でストリッパーもしていた女史が、深夜に巡業先の四国のどこぞの海辺の公衆電話から、「ザッパが死んじゃったよ~」と泣きながらかけてきた甘い思い出を、このアルバムを聴きながらひっそり噛みしめた。
ー七里圭(映画監督)
ギタリスト酒井泰三さん、近藤等則さんIMAバンドの頃から大ファンでした!
現在やられているNO-MAD等もほんとうに素晴らしいです。
日本を代表するギタリスト酒井泰三さんから太陽肛門スパパーンCD「アトミックサンシャインー河馬と人間」に素晴らしく鋭いコメントいただきました。ありがとうございます。精進してまいります。
皆さん、ぜひともCD購入・聴取いただき、討議の輪に加わっていただければ幸いです。
コメントは以下です。
「全体として緻密に計算されていると感じました。
一曲目などは、スティーリーダンを彷彿とされる感じ。
気に入った曲調は、boogie-woogieピアノ炸裂の曲とかリズム的にニューオリンズっぽい奴とかが好きですね。
各曲のアイデアが、凝っていますね。
唄の感じも音程とかメロディとか、難しいのに、よく歌えるなぁと感じました。
そこで思うのは、伝えることの難しさです。
音楽の送り手ですので、その難しさには、いつもどうしていいのやら、自分でもわからないです。
歌詞の意味。
全て、聴いた瞬間に伝わること。
例えば、演歌の歌手の大御所などは、やはり流石だなぁと思います。
なんだろう?
多分、歌詞とメロディは、別に出来たのかな?と感じました。
というか、一発目の曲だから、余計に気になるのかもしれないけど、うまい言い方が出来ないのですが、メロディと歌詞が分離しているように感じました。
かなり高度で難易度高いことをやっているのですけれど、其処を更に越えて、スゥッと入って行く音楽っていうのかな?
そこに行けたら素晴らしいのになっと、思いました。
何か飛んできた曲は、シンプルなブギっぽい曲で、唄がシャウトっぽく、声を張っている場所です。
ただし、私の趣味的な感想ですので、暴言等許してくださいませ。
---酒井泰三(ギタリスト)」
独創的な才能溢れるシンガーソングライターであり、最近は役者・文筆家としてもそのマルチな才能を発揮している北村早樹子さんからコメントいただきました!
このアルバムを聴いていたら今の日本はなんて愉快な国なんやろうと笑っちゃった。社会の動向に滅法疎いわたしみたいな人間に、すごくわかりやすい言葉で現在の日本に何が起きているのか教えてくれるアルバムやと思いました。そして歌はこんなにも自由に何でも歌っていいものなのや、と最強の一例を見せてもらってたいへん勇気が湧きました。
ー北村早樹子(歌手)
埼玉県民なら誰もが知っているあの「なぜか埼玉」のさいたまんぞうさん。最近では「原発アウト!」「安保法制アウト!」等の野球審判としてのキャリアもいかした名曲をリリースしてらっしゃいます。さいたまレベゼンの太陽肛門スパパーン、大尊敬するさいたまんぞうさんに素敵なコメントいただきました。
小学生の時「なぜか埼玉」のレコードを買いました、と言う被害者の方から突然メッセージが届きました。我らのバンドのCDの感想コメントを下さいませんか、と言う、八百屋で魚のような注文。歌手もどきのことをやっていますが、私の音楽に対する知識、思想なんて素人以下。自分のことが分からず、暗中模索の私が、他人様のCDへのコメントなんてとてもとても、。一つ言えることは、ブラスのサウンドがごきげんで、CDも良いのですが、ライブを見たくなるバンドです。「原発・アウト!」「安保法案・アウト!」もよろしく。
ーさいたまんぞう(歌手)
文芸批評家の中島一夫さんから素晴らしいコメントいただきました!
ほぼ同年齢で同時期に同じ大学にいた花咲政之輔は、私にとって、あり得たかもしれないもう一つの生だ(と勝手に思っている)。私もまた、例えば高校生のときに駅で戦旗派の署名をするような機会があったら、まったく違った人生になっていたかもしれない。もちろん、それは同時に、今となってはとりかえることができないという強いオブセッションをともなって、こちらの存在に食いこんでくる。その存在は、ともすると流されては硬直化しそうになるこちらの思考に、根本的な変更を迫ってくる他者だ。
他者は不快だ。アルバム冒頭から聴こえてくる災害警報のように。徐々に音楽になじみかけ、いよいよ快を感じてきた矢先に、それは再び冷水を浴びせにやってくる。また、メロディーに行儀よく乗っかることがない、「奴隷の韻律」(小野十三郎)を頑なに拒むかのような歪で不格好な詞は、安易にリズムや音感に共鳴し口ずさむことを許さない。
さらに歌詞カードをめくれば、今度は「寄進者芳名」とあって、カンパの額によるのだろうか、氏名の文字フォントの大きさが露骨に差別され、まるでアルバムへの貢献度が壁に貼りだされているような感覚を覚える。下位の方に名前があろうものなら、己の名を虫眼鏡で見つけ出さねばならないという、ちょっとしたハラスメントを受けることとなる。だが、そこには、同一労働=同一賃金ならぬ、同一カンパ=同一フォントの鉄則が貫徹されているのかもしれない。差別するなら、属性ではなく、鉄則にしたがって差別せよ、というPC批判。
「ネットは見たくなかったら消せるわけだけど、ビラ撒きは消せないし、意味ないという人は嫌だと思ってもいるわけだから、それは重要なんじゃないですか。「強制力」がポイントですよ。相手に嫌な思いをさせる」と花咲は言う(「子午線」Vol.3インタビュー)。
この言葉は、かつて批評家のすが秀実(本アルバムでも「very special thanks to」と最大限の感謝が捧げられている)が、同じく批評家の柄谷行人に、「人の嫌がることをする人」「いいことをしても、人の嫌がる形でしかしない人」と評されていたことを思い出させる。そういえば、あれもまたPC批判の文脈だった。
批評が困難な現在、まだ批評があり得るとしたら、まずもってこのPCに包摂された「御花畑」に、いかに「強制力」で不快をもたらすかにかかっていよう。そして今は、この快は「自然生長性」、不快は「目的意識性」のことだと強弁しておきたい。
いつか、潜在する無数の花咲が、ビラも撒けない「御花畑」に、嫌な思いをさせてやろうとビラを撒きにやってくる。この作品は、そんな光景をありありと思い浮かばせる。
ー中島一夫(文芸批評家)-
ジャーナリスト/写真家/音楽家の烏賀陽弘道さんから関西人らしいいかすコメントいただきました!
まったく、ただでさえひどいバンド名である。なのに、見よ! 白ブリーフ一枚のおっさんたちがブヨブヨの裸体で、実に高度な演奏を繰り広げているではないか。そのいま「日本でもっとも善男善女が忌避するであろう音楽集団」が、いま社会でもっとも重要なメッセージを放っている。この奇態に一体どう対処すればいいのだ。いや諸君、恐れるるなかれ。いつも変化は辺境からやってくる。この異形のマレビトたちを迎え、宴を祝おうではないか。盆暮れ正月クリスマスバレンタインデーハロウィーンが一緒に来たように。
ー烏賀陽弘道(ジャーナリスト/写真家/音楽家)
写真家/「BERG」副店長の迫川尚子さんからいかしたコメントいただきました!
「さよならするぜ。この俺に」が気に入った! 太陽肛門スパパーン+ザ・ヒメジョオンの新譜「アトミックサンシャイン-河馬と人間」の中の1曲。グッとくる。何回聴いても例の音にはドキッとする。不思議なバンド名とキュートなジャケット。パワフルなリズムサウンドに甘い歌声。なんとお洒落でかっこいいではないか。
ー迫川尚子(写真家/新宿「BERG」副店長)
新宿駅構内coffee & beer「BERG」店長井野朋也さんから素敵なコメントいただきました!
「何より声がいい。しびれます。音楽性豊か!エアコンのきいたオシャレな部屋で心地よく聞くこともできます。ただ、その部屋のインテリアにはなりそうでならないですね。なぜなら部屋の主はこのレコードで、インテリアはむしろ自分だからです。のびのび弾けているのはこのレコードで、自分はそれを羨んでいるのです。だからレコードが終わると正直ほっとします。でもまたかけなおします。ヤミツキです。(たまにベルクでかけますが、店内でも一番のびのび弾けているのはこのレコードです。)」
ー井野朋也(新宿駅構内「BERG」店長)
下北沢ヤングROCK界の一つの中心軸、いかしたバンド「THEラブ人間」の金田康平さんからナイスコメントいただきました!
今回コメントの依頼をいただいたときに『太陽肛門スパパーン』のメンバーの誰かとお話をした記憶が蘇ってきた。
雨の日の下北沢SHELTERで、ぼくも彼も階段でチラシ配りをしていた。それはぼくの思い違いかもしれないし、記憶の落とし穴にぽっと産まれたパラレルワールドかもしれない。
そしてこのアルバムを聴いたあとのぼくは、少なくともパラレルワールドを生きているわけではなく、現実のおどろおどろしい世界を生きている。
そんなもんだから、こんな俺にさよならしなきゃいけない瞬間の連続だと気付かされてしました。
少し長くなりますが太陽肛門スパパーンの表現は、ほとんどの日本のバンドがくちびる噛んで嫉妬するレヴェルまで音楽的風呂敷を広げてしまい、音符全てにぎゅうぎゅうに詰まったその勇敢さには、自分が抱えている『この歌詞じゃ。』とか『このメロディーじゃ。』なんて悩みはミミズの脳みそほどの小ささだということも教わってしまいました。
ー金田康平(THEラブ人間 / 歌手)
戦争法案に反対し、安倍独裁政権解体を目論む正しい姿勢の弁護士田村優介さんからコメントいただいています。ありがとうございます。
現代の日本に生活しつつ言語を用いて表現活動するのに,いま,
弁護士 田村優介
哲学者の松本潤一郎氏よりいかしたコメントいただきました!
ーーーーーーーーーーー
……これなんで河馬なんでしょうね
バカをひっくり返したのかな(笑)
それと人間
シュールな組み合わせだ
意味不明の関係図も二つもついているし
円谷幸吉の霊魂が呼びだされてるのは
2020五輪粉砕の一環なのかとか
いろいろ考えさせられます
「ドントフィール、シンク」だな
……資本主義下で漫然とやりすごして流れていく
日常生活に鋭い突っ込みを入れて停止させようとしているから
「考える」の始まりは停止することだからね
でも歌詞はリリックなんですよね
いわゆる政治的なボキャブラリーではなくて
感覚的ではないけど抽象的でもない
メロディとアレンジも正統できれいで聴きやすい
過去の偉大なミュージシャンたちへのオマージュがある
先達の音をすごくよく聴いてつくられていますね
じぶんらには先達の切り開いてくれた途なくして
このアルバムをつくることはできなかったという
謙虚さがある
……タイトルは挑発的なんだけど政治や社会問題を
坂本何某とか和合何某のように消費回路に落とし込んでいない
キャッチコピーにならない
なんでかっていうと地域性というか地元の生態(笑)みたいなものに根差していて
自分の出自や育ちや環境を隠したり曖昧化したりしていないから
人間は必ず時空の物理的制約を受けて生きて死んでいく
ということがふまえられて出てくる言葉だから
ちゃんとものを考えていることがわかるし信頼できる
「市民」っていうジャーゴンはそういうのを隠蔽する抽象なんだけど
そういうのを巧みに牽制してる
……こういう文化発信が未だに行われている
っていうのがすごくうれしいですね
ほぼ奇跡ですよ(笑)
「言葉で音を断ち切る」っていう高橋悠治のスローガン
あれは悠治さん自身にもけっきょくできなかった
今後はこの課題にとりくんでほしい
すごく難しいけど
音楽が好きな自分を否定するようなところに
行っちゃいかねないわけだから
その意味で誰にもできないことかもしれないんだけどね
……それとねヴォーカルが声よすぎますね
これ聞き惚れちゃうね
ちょっとくぐもった音でね
ぼかされてるぶんよけい聴き続けたくなる
風呂場でレコーディングしてみたんだけど
一ヵ所窓閉めるの忘れてました的な散文性(?)もあるよね(笑)
バックコーラスとホーンセクションもすごくいいですね
このゴージャスな音でこの歌詞はないよね(笑)
そのへんもバタイユ的でいいですね
惜しげもないポトラッチというか呪われた蕩尽というかね
……これからも続けていってほしいですね
芸術における制作は孤独を伴う集団作業だから
コミュニズムの原点みたいな部分があるでしょ
自由と平等という矛盾の止揚の模範というかね
活動家のつねに立ち戻りうる参照点というか道標というかね
そこが重要なのよね
べつにコミュニズムなんて言葉使わなくてもね
それはつねにある、特に芸術にはね
『河馬と人間』にはそのことへの
敬意がみなぎってるよね
……金があればね
スティーヴ・アルビニとか
ジェロ・ビアフラとか
プロデューサーに迎えていただいて
これは僕の個人的趣味なんですけど(苦笑)
それでどんな音と言葉が出てくるか
聴いてみたい気がします
続けていくのはたいへんですけど
応援したいですね
ーーーーーーーーー松本潤一郎(哲学者)
ミュージックマガジン2015年10月号アルバムピックアップにてレビューされています。参考に読んで、まだの方は購入・聴取・討議よろしくおねがいします。
雑誌テレビブロス2015年8月29日号24p CDレビューにて太陽肛門スパパーン(ゲスト:THEヒメジョオン)CD「アトミックサンシャインー河馬と人間」とりあげられています。
昨日2015年9月11日発売の「週刊金曜日」に太陽肛門スパパーン(ゲスト:THEヒメジョオン)新CD「アトミックサンシャインー河馬と人間」CDレビュー 掲載されています。
参考にしてください。そして未聴の方は、購入・聴取・討議お願いします。
みなさん参考までに一読あれ。まだCD購入いただいていない方は即購入/聴取/討議/行動へ!
●2015年秋 新宿ディスクユニオンDUES、三鷹おんがくのじかん、熊谷モルタルレコード ライブ 参加よろしくおねがいします。
3rdアルバム「河馬と人間」 2015年8月19日リリース!
2015年4月発売 雑誌「子午線」に花咲政之輔ロングインタビュー掲載(c/w金井美恵子インタビュー)!
無事終了しました!ありがとうございます