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太陽肛門スパパーン4thフルアルバム
「円谷幸吉と人間」発売しました!
東京オリンピック強行開催弾劾!近代オリンピック廃止!
識者の方々の推薦コメントを熟読玩味し、今すぐ購入・聴取・討議・行動へ!
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皆さん、オリンピック粉砕・阻止・廃絶のための討議のよすがとして活用ください。
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叛五輪の音楽運動をしている太陽肛門スパパーンに連帯の挨拶を送ります。
俺は、国威発揚の国際運動会が嫌いだった。侵略戦争の旗印「日の丸」が掲揚されると歓喜し、「天皇の御代がいついつまでも」という「君が代」が流れて涙を流す人たち、「日の丸を背負って戦えることに誇りを持ち……」とか言ってる運動選手たち、日の丸を背負った兵隊が南京でやった大虐殺を知らないのか。
1936年、「ナチス・オリンピック」に対抗して「バルセロナ人民オリンピック」が開催されようとした。開会式の前日、スペイン内戦が勃発、人民オリンピックは中止になったが、帰国せずに銃を取り、共和国側の戦列で戦った参加選手がいたという。俺が支持できるのはこの「幻のオリンピック」だけだ。
「反日的な人たちがオリンピックに反対している」とアベが言った。俺、反日だけど、好きな日本もある。祭り、盆踊り、花火もそうだ。「西馬音内盆踊り」が好きで『火口のふたり』を撮った。ねぶた祭、竿燈祭り、長岡大花火、郡上おどり、祇園祭の山鉾巡行、よさこい祭り、博多祇園山笠の舁き山が中止なのに、スガ、コイケはなぜ五輪を強行するのか。日本各地の夏祭りと国立競技場の「日の丸」「君が代」、どっちに「日本」があるのか。
2020東京五輪を粉砕しよう!!
荒井晴彦(脚本家/映画監督)
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ミュージシャンの曽我部恵一さんから、太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」に関連して素晴らしいTwitter投稿いただきました。
昔から、サニーデイサービスや曽我部さんを愛聴していたので、本当に嬉しく励みになります。全国の皆さん、上記tweetを参考にして、今すぐ太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」+先行シングル「東京おらんピックcw時間・場所・存在<すべて」を購入し、聴きまくろうぜ!
うれしいことに、2021年ベストアルバムに選出していただきました!
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音楽学者の輪島裕介さんより、太陽肛門スパパーン新譜2枚組LPレコード「円谷幸吉と人間」に関連して素晴らしい寄稿いただきました。
輪島さんの「ポピュラー音楽」をめぐる深い考察にいつも刺激を受けています。
皆さん、熟読玩味して今すぐレコード店へGO!「円谷幸吉と人間」購入のために。http://taiyoukoumonn.web.fc2.com/hanbai.html
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太陽肛門スパパーン『円谷幸吉と人間』のために
輪島裕介
これまでも漠然と感じていたことだが、日本の大衆音楽は前回の東京オリンピックのあとで決定的につまらなくなったのではないか?
多分これは通念的な感覚とは逆だろう。むしろ、一九六〇年代後半以後、エレキやフォークやGSやニューロックやニューミュージックや、現在「シティポップ」と新たに呼ばれつつあるものを通じて、「本格的」に英語圏の若者音楽を摂取し、次第にその距離を縮め、「追いついて」(時には部分的に「追い越して」)いった、その過程こそが日本の大衆音楽の歴史である、という理解は、少なくとも占領期生まれの(単なる世代的属性ではなく、占領下の大都市、とりわけ東京を基本的な生育環境とし、それを屈託なく肯定的に捉えうる特権的な層、ということでもある)音楽家や批評家、その影響下にある後続世代に共通する認識だろう。そうした、英語圏の白人若者音楽を「お手本」とすることを疑わない心性は、もしかしたら「世界に冠たるトーキョー」での「非白人国初のオリンピック」の「成功」体験とも重なっているのかもしれない、と今回の無残なオリンピックとそれにまつわるあれやこれやを横目で眺めながら思っていたところ、『円谷幸吉と人間』を聴いてさらにその意を強めた。
近代オリンピックが19世紀の人種主義と帝国主義と共犯関係にあることはいまさら言うまでもない。植民地独立が相次ぐ20世紀の後半にもなって、お気楽に「非白人で唯一先進国の仲間入り、というか復帰」に浮かれていたのは歴史の潮目を読めないにもほどがある。唾棄すべき「名誉白人意識」が(ふたたび)顕在化するのが1964年東京オリンピック以降、という主張はさらなる検証が必要だが、見立てとしてはそれほど外していないと確信している。一方それは帝国の記憶の回帰でもあって、軍隊式の非合理な暴力を通俗的に美化した「スポ根」の流行は、円谷幸吉を追い詰めた背景の重要な一部だろう。
『円谷幸吉と人間』は、19世紀末の自由民権運動を参照したにちがいない「ダイナマイト、どん」から始まる。オリンピックのみならず、「日本の近代やりなおし!」の号令のようにも聞こえる。「白人性」とオリンピックの共犯性を暴露する上で、BLMとメキシコ五輪のBlack Power Saluteへの言及は必須といえる。この文脈でのラップの導入、とりわけなみちえの参加は決定的に重要だ。「ハート・ブレイク・ドール」のカバーも秀逸。日本における「歌謡曲」と「R&B」の象徴的な親和性に思いを致す。
本作で2つの東京オリンピックを結んで復活する円谷幸吉は、空襲・原爆・水爆実験の犠牲者を暗示する「ゴジラ」を思わせる。第一作『ゴジラ』でみられる、帝国と被曝と敗戦と占領の記憶の、矛盾を孕んだ複雑な重層は、とりわけ1964年以降失われるものかもしれない。
扇動的かつ情動的な声と言葉、個々の自由の最大化によって成立する組織的演奏、そしてジャケットからライナーのすごろくやテキストまでを一貫する強力な想像(妄想)力は、アナログレコード二枚組という、過去の「コンセプト・アルバム」の常套的な形式を批判的に蘇らせている。あたかも円谷幸吉を蘇らせたように。
輪島裕介(音楽学者)
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テレビ東京ドラマ、ジェーン・スー原作『生きるとか死ぬとか父親とか』で「お茶の間の温度を変える」ことに成功した脚本家/映画監督の井土紀州さんから太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。
皆さん、熟読玩味の上、今すぐ太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」+先行シングル「東京おらんピックcw時間・場所・存在<すべて」を購入しよう!!
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ロバート・ジンママンがボブ・ディランと名乗る必要があったように、小川正治には花咲政之輔と名乗る必要があった。
一九六五年、ディランがフォーク・ギターをエレキ・ギターに持ち替えた時、フォークが持っていた左翼的な政治性は、商業主義そのものであるロックに取り込まれることになり、それ以後のロックは矛盾を抱え込むことになる。
この矛盾を矛盾として体現し続けるのが、花咲政之輔であり、太陽肛門スパパーンだ。
たとえ、フリージャズやヒップホップを導入しようともその矛盾は決して解消されることはない。もしも、その矛盾を克服しえたと花咲が錯覚した時、私は花咲の楽曲にもスパパーンの演奏にも興味を失うだろう。
今回のアルバム『円谷幸吉と人間』は、円谷幸吉やブラック・パワー・サリュートなど、過去のオリンピック選手や事件をモチーフにしながら、様々な権威や権力者をこき下ろし糾弾しながら、オリンピック廃止を叫んでいる。
そして、混沌とした演奏の中から次のような言葉が不意に浮かび上がってくるとき、胸を突かれる。
アベベ ヒートリー 手をつなぎ走ろう
俺たち仲間さ ダイナマイト、どん!
ここには、勝利至上主義への根底的な批判と同時に、真の博愛精神がある。
井土紀州(脚本家/映画監督)
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映画監督の七里圭さんより、太陽肛門スパパーン新譜「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。「眠り姫」「のんきな姉さん」等心に沁み入る名作が沢山あります。以下七里さんからのコメントです。
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何故にスパパーンが国民的大ヒットに至らないのか、不思議でならない。
こんなにキャッチ―で、チャーミングなのに。
こんなに国民の本音と怒りを代弁しているのだから、然るべきである。
花咲氏の甘く、切なく、激アツな歌声を聞き返すたび、私はそう思う。
彼とはソウルメイトであると、確信している。
七里圭(映画監督)
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評論家/詩人の阿部嘉昭さんから太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。皆さん、熟読玩味の上、今すぐ太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」+先行シングル「東京おらんピックcw時間・場所・存在<すべて」を購入しよう!
●『円谷幸吉と人間』讃
復興五輪もコンパクト五輪も、「コロナに打ち勝った証としての五輪」も開催されなかったのだから、東京五輪の開催が、かつてボードリヤールが湾岸戦争について指摘したように、メディア上の幻だったのは確かだ。太陽肛門スパパーン『円谷幸吉と人間』はこの幻想五輪の実態を音楽的に増幅する、すぐれて批評的なアナログダブルアルバムだった。収められているファンキーチューンと歌曲とフリージャズはすべて調性が変化しつづける高度なド変態性に貫かれ、聴くのが危ない音楽の変異株として猖獗している。音場もあらゆる歌詞も狂いつづけている。すごい。そのなかを森山花子から変成した幻の円谷幸吉が出現し、やがて最も高貴といわれたその遺書さえテルミンの介入により、見事に恐怖文脈に置き換えられてゆく。聴いてはならない音楽のはずなのに、何度もターンテーブルに乗ってしまうのはなぜなのか。わたしたちが変異株にやられたいとひそかにおもっているからとしか考えられない。歌詞カードの最後は、《いつかくたばる命ならば 魂 投げ捨てて高く みんなありがとう》。この狂った歌詞の射程はなんと尊いのだろう。
阿部嘉昭(評論家/詩人)
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百姓/猟師/音楽評論家/朝日新聞編集委員の近藤康太郎さんから太陽肛門スパパーン二枚組LPレコード「円谷幸吉と人間」にいかしたコメントいただきました!朝日新聞紙上での記事も近藤さんが書いているものは必ず読み、また「おいしい資本主義」他単行本のファンでもあるので本当にうれしく励みになります。近藤さんには、週刊金曜日2021年10月29日号でもレビューいただいております。皆さんも、熟読の上、今すぐ太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」を購入&聴取&討議&行動すべし!以下コメントとなります。
じつはスピーカーを買い替えたばかりなのだが、筆おろし、最初に針を落としたのは2枚組みの重厚なLPだった。おっと、これはなんのコンピレーションだ? サン・ラにフランク・ザッパにパーラメント、NWAにキング・クリムゾン、ディープ・パープルに非常階段まで参加してるぞ。山下達郎も、セリーヌ作詞、大杉栄訳みたいなシティ・ポップで。なんだこりゃ、ジャンルレスの横道者オリンピックか?
タイトルを確かめたら、太陽肛門スパパーン。歌うドゥルーズ=ガタリであった。
音楽が、なにか政治的なメッセージを訴えるものならば、高市早苗の三流演説にさえ劣る。音楽は、そういうメディアではない。しかし音楽に、太陽光の速度で疾走するリズム、高く天上を目指すポップなメロディ、ダイヤモンドよりも強い表現の核、つまり「言いたいこと」があるならば、その音楽は、腐らない。フォーエバー・ヤングである。1枚の遺書が、永遠の文学になるように。
より速く、より高く、より強く。Citius-Altius- Fortius。だから、オリンピックじゃねえってば。
近藤康太郎(音楽評論家・百姓/猟師・朝日新聞編集委員)
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「図書新聞」2021年11月20日号に伊達政保さんによる太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」に関連する評論が掲載されました。伊達さんの「ドゥ・ザ・レフト・シング」を昔から花咲 愛読していたこともあり、感激恐懼です。皆さん、熟読して「円谷幸吉と人間」購入・熟聴・行動へ!
以下伊達さんの許諾の下、転載いたします。
評者◆伊達政保
スポーツを利用した資本とナショナリズムの祭典――今回のオリンピックの最大の収穫は2枚組LPレコード『円谷幸吉と人間』
「図書新聞」No.3520 ・ 2021年11月20日
■コロナ禍での東京オリンピック・パラリンピックは多くの延期、中止、反対の声が上がる中、開催が強行され終了した。危惧したとおり期間中から感染爆発が起き、医療崩壊が引き起こされた。同時にオリンピックの欺臓性も暴露されていった。当初の「復興五輪」などは忘れ去られ、後付けの「コロナに打ち勝った証し」も緊急事態宣言下の開催で無意味となった。オリンピックは「平和の祭典」ではなく、スポーツを利用した資本とナショナリズムの祭典だったのだ。IOCの金権・利権にまみれた権力主義的体質とバッハ会長などの特権階級的振る舞いがそれを体現していた。
また日本政府、東京都、JOC、組織委員会による利権と政治利用は明らかであった。当初7千億円と見積もられた予算は結果的には4兆円ほどに膨れ上がったと見られている。原因の一つは、ゼネコンや電通などの広告代理店が莫大な中間搾取を行い、それが各組織・団体の利権となったからだ。例えば一人一日当たりの計上人件費2万7千円が実は9千円しか支払われず差額は消えてしまった。すなわち経費の6割が利権となったのだ。そのほとんどが税金である。一方オリンピックによる支持率浮上により選挙を行おうとした菅政権の思惑は外れ、自民党総裁選そして総選挙へと突入することになった。
そうした東京オリンピックに対し多くの抗議行動やデモが取り組まれたが、開会式当日には「叛五輪音楽祭・東京五輪獣‐太陽肛門スパパーン2枚組LPレコード『円谷幸吉と人間』発売記念」ライブが開催された。出演者はPANTA、灰野敬二、太陽肛門スパパーンの演奏、鵜飼哲(一橋大学名誉教授)と竹田賢一の対談など超豪華版。東京オリンピック阻止! オリンピック廃止! を訴えた。
そして逆説的にだが今回のオリンピックの最大の収穫はこの2枚組LP『円谷幸吉と人間』だろう。64年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得し、68年のメキシコオリンピックでもメダルを期待されていた円谷幸吉は、68年1月に自衛隊官舎で自殺した。「父上様母上様、三日とろろ美味しうございました」と始まる遺書には「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書かれてあった。オリンピックの犠牲者であり、殺されたと言っても過言ではない。彼の一生を題材として、歌謡プログレ・フリージャズ・ファンクバンドと言われる太陽肛門スパパーンが、幅広い持ちネタ(コルトレーンのジャイアント・ステップスも)と多彩なバンドサウンドを使った大組曲として製作したのだ。中の一曲「東京おらんピック」は別ミックスでシングルカットされている。必聴である。
伊達政保(批評家)
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「サウダージ」、「国道20号線」、「花言葉バビロン」など、鋭く社会を撃つ珠玉の作品群で知られる映像制作集団「空族」の相澤虎之助さんから、太陽肛門スパパーン2枚組LPレコード「円谷幸吉と人間」に素敵なコメントいただきました!
相澤さんのコメントは以下となります。
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オリンピックと戦争がセットでやってくる。実際やってきた。いきものが背負わされる内蔵のうねりを消し去ろうとする国家の祭典。無念ナリ円谷。無念ナリ人間。ダイナマイトどん!粉砕することによってはじまる駆け抜ける裸足の裏から大地に根が生えゆく音を聞いてくれ。
空族 相澤虎之助
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音楽評論家の村井康司さんから太陽肛門スパパーン新譜2枚組LPレコード「円谷幸吉と人間」に素敵なコメントいただきました。https://note.com/ogasyou/n/nca77313785d2東京オリンピックは我々の力及ばず強行されてしまいましたが、パラリンピックの阻止そして近代オリンピック自体の廃止を勝ち取る闘いはまだ端緒についたばかりです。
全ての皆さん、ぜひ村井さんのコメントを熟読玩味し、円谷の叫びhttps://www.youtube.com/watch?v=ecWT_L5A144に耳を傾け、今すぐ2枚組LPレコード「円谷幸吉と人間」+先行シングル「東京おらんピックcw時間・場所・存在<すべて」を購入/予約しよう!http://taiyoukoumonn.web.fc2.com/hanbai.html
村井さんのコメントは以下となります。
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太陽肛門スパパーン『円谷幸吉と人間』について
これほどに聴き応えがあり、こちらのさまざまな感情にストレートに訴えかけてくる音楽を聴いたのは久しぶりだ。
トラックごとにメンバーの異動はあるものの、ここでの太陽肛門スパパーンは多数の管楽器と弦楽器、それぞれ個性的な複数の声、気持ちよくグルーヴするリズム・セクションを擁する一大オーケストラであり、花咲政之輔はそのすべてをグリップするコンダクター、コンポーザー、アレンジャー、メイン・パフォーマーだ。
それにしても、このアナログ2枚組の中に、いったいいくつの種類の音楽が、それもひとひねりもふたひねりもした形で取り込まれているのだろう。フリー・ジャズ、ビバップ、ブルース、プログレッシヴ・ロック、アフロビート、フォーク、ラップ、R&B、シティポップ、クラシック、バーバーショップ・コーラス、日本民謡……。ありとあらゆる音楽が撹拌され解体され、生き生きとした有機体として立ち現れる。私はこのアルバムを聴きながら、あるときはアート・アンサンブル・オブ・シカゴを、あるときはカーラ・ブレイの『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を、あるときはフェラ・クティを、あるときはローランド・カークを、あるときはUKのシード・アンサンブルを、そしてあるときはビブラストーンを想起した。
もしこの作品がまったくわからない言語で歌われていたとしても、私は高く評価することだろう。しかし、この作品は日本語によって歌われ、「円谷幸吉」という一人の人間を主人公として、日本社会のどうしようもなさ、オリンピックと国家主義の構造的癒着に対するアンチを、鋭く激しく、そして哄笑と共に突きつけている。円谷幸吉という名前をオリンピックの影の部分を象徴するものとして記憶している世代は徐々に減りつつあるのかもしれないが、1940年に福島県に生まれ、オリンピックのメダルを獲るために自衛隊体育学校に配属させられ、64年東京オリンピックマラソンで銅メダルを獲得するも、68年メキシコオリンピックの9ヶ月前に自死を遂げたこの悲劇的人間を、私たちは忘れてはならない。
この大作で花咲政之輔が構想し提示してみせた「円谷幸吉が2021年のオリンピック開会式に原子力の炎を掲げて国立競技場へ進撃する」というストーリーは、すばらしい音楽の力によって、見事なリアリティを獲得している。
優れた表現者というものは、時として同じような卓抜な発想を、それぞれが担っている分野で具現化するようだ。時代を鋭く撃つ歌人、藤原龍一郎の歌集『202X』(2020年3月刊)より一首を引こう。
新国立競技場のトラック喘ぎつつ夜ごと円谷幸吉走る
村井康司(音楽評論家)
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元ジャズ批評編集長、音楽評論家の原田和典さんより、太陽肛門スパパーン新譜「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。皆さん熟読玩味の上、今すぐ購入手続きお願いします。原田さんのコメントは以下となります。原田さん執筆のディスクユニオン「ジャズ徒然草」花咲政之輔の巻もご参照ください。
メシを食うこと、恋をすること。これなしには生まれた甲斐がないというものだ。
円谷幸吉は恋をすることを禁じられた。せいぜい彼をファストランニングマシーンぐらいにしか思ってなかったであろう、どこぞの体育学校長に。まわりの人々も含めて強烈な恫喝を受けたことが、レコードに添付されている「すごろく」の七番を読むとわかる。
どんなにつらかったろう。どんなにやるせなかったろう。ひとの恋路を邪魔する奴は犬に食われてナントカというが、そいつは何に食われることなく(おそらく)ノーノーと生きて、円谷は自刃した。最後の帰省時に家族ととった食事を思い起こしながら。
遺書で7回繰り返される、美味しうございました。でも命を絶たなければ、もっといろんな美味しい食事に出会えていた! なのにメシより死を選んだ。そのくらい、生きるのがしんどかったんだ。
ああ、かきむしられる。この、胸の奥から湧き上がる、後を引く苦みはなんだ。私はこの2枚組LPを聴いて、アンダー・コロナ状態のなかで相当、内にこもっている自分にもまだいくらかの寄り添いが残っていることにハッとして、いささか人間のここちを取り戻した自分と対面した。高い演奏力と幅広い音楽性を持つ音楽家たちが有する“サウンドの引き出し”は尋常をはるか遠く見おろして、テンポや曲調の突如のチェンジは、業師のまぐわい、あるいはジェットコースターを彷彿とさせる(といっても私が最後に乗ったのは平成初期だが)。コントラバスとドラムスが織りなす心地よいコンビネーションと、おそらく独特の倍音を持っているのであろう花咲政之輔の男臭い歌声が互いを輝かせる。楽器がどんなに白熱しようとも、歌詞のひとことひとことがクッキリ聴こえてくるのもいい。
原田和典(音楽評論家)
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政治思想史研究者の尾原宏之さんより、太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。
尾原さんの「大正大震災」や「娯楽番組を創った男」等は現代日本社会を生きるもの必読の名著と言えます。以下尾原さんのコメントです。
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アルバムのコンセプトのひとつとして、円谷幸吉と68年メキシコシティー五輪の「ブラックパワー・サリュート」が接続されたのはまったく秀逸だと思った。コロナ前のライブでは、64年東京五輪のアベベとヒートリーが登場することはあっても、スパパーンの創造した「円谷幸吉」は基本的に一人で走り、一人で現代の五輪権力集団と対峙していたような気がする。ライブに登場する円谷ギミック(および円谷役のパフォーマー)は、いつもなんとなく孤独に見えた。
もし68年を生き延びた円谷が、メキシコシティーで反差別闘争を闘う黒人選手と連帯したとすれば——。この新たな視点は、たとえ直接言及されなくてもアルバム全体の奥行きを作っている。すでに歴史となった事柄と、ひょっとしたらありえた、いまもありえる事柄が交錯して、その中で生きた人々のつながりが余計な感傷抜きで浮かび上がる。「時間・場所・存在<すべて」と「Giant Steps?(世界資本主義の穴)」を特にそういう思いを持って聴いた。
私は音楽マニアでないので、街場にレコードプレーヤーを買いに行くところから始め、ほぼ四半世紀ぶりに盤面に針を落とした。安手のプレーヤーでも十分に、この作品がレコードでなければならなかった理由が伝わってきた。
尾原宏之(政治思想史研究者)
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東欧史研究者/福井大学教員の井出匠さんより、太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。
歴史の経験を現在に活かすべく日々奮闘する井出さんの営為を敬意をこめて注視しています。
皆さん、井出さんのコメントを熟読玩味、討議の上、今すぐ太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」+先行シングル「東京おらんピックcw時間・場所・存在<すべて」を購入しよう!東京パラリンピック阻止!オリンピック廃止!
すぐれた詩人は、また得がたき予言者でもある。過去を掬い取り、現在を抉る者は、未来を照らすだろう。当アルバムは、太陽肛門スパパーンのリーダー花咲氏の30年以上にわたる〈芸術=政治〉活動のひとつの結節点であり、世界が混沌の極みにある今こそ、全人類は彼の発する警句に真摯に耳を傾けるべきであろう。手遅れとならないうちに。
井出匠(東欧史研究者/福井大学教員)
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音楽評論家の松山晋也さんより、太陽肛門スパパーン新譜「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。
皆さん、討議の参考にしてください。
そして、今すぐ街に出て、太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」+先行シングル「東京おらんピック/時間・場所・存在<すべて」を買いに出かけよう!もしくは冷房効いた部屋or地獄酷暑タコ部屋でポチる?
東京パラリンピック阻止!オリンピック廃止!!
松山さんのコメントは以下となります。
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■太陽肛門スパパーン『円谷幸吉と人間』 コメント
この夏はオリンピック漬けだった。連日、TVの前で日本人選手たちの激闘に声援を送った。ソフトボールの日米監督どうしの試合後の長い抱擁、柔道の大野の勝利後の正座礼、サッカー久保くんの号泣などには特に胸を打たれた。招致運動から開閉会式セレモニーをめぐるドタバタ劇に至るまで、嘘とハッタリと中抜きで塗りこめられた東京五輪運営陣の破廉恥さにはずっとハラワタが煮えくり返りっぱなしだったのだが、いざ始まってしまったら懸命に応援する自分がいた。そういう、いいかげんで弱い人間なのだ、私は。
そんな頃突然届いたのが、『円谷幸吉と人間』というアルバムである。手の込んだダブル・ジャケットに激熱ライナーノーツと妄想すごろくまで付いた2枚組LP。レコード産業が崩壊しつつあるこのご時世にトチ狂ったとしか言いようがない豪華な、そして嫌がらせのような作品だ。国威発揚と一体化し強欲資本主義に連動したオリンピック/近代スポーツの犠牲者だった円谷幸吉の生霊を呼び出したこのSF的コンセプト・アルバムには隅から隅まで東京オリンピックに対する怒りと呪詛が満ちている。1曲ごとに「嘘と欺瞞だらけのこんなペテン運動会を単純に楽しめるお前は救いようのない大バカ者だ」と怒鳴りつけられているようなうしろめたい気分になるわけだが、しかし悔しいかな、音楽作品としてあまりにも濃密で面白すぎるため、何度も何度も聴いてしまった。フランク・ザッパとかサン・ラーとかリベレイション・ミュージック・オーケストラとかあれこれ想起させる高度なアンサンブルと、エロと笑いと哀愁がないまぜになった花咲政之輔の歌。白ブリーフ姿のオッサンたちが醜悪な太鼓腹をさらすライヴ・パフォーマンスも含め、今どきこれほどロマンティックなゲリラ集団が他にいるだろうか。これはアートとしてのテロである。
私は東京オリンピックを毎日観て、存分に楽しんだ。そして今、この『円谷幸吉と人間』も心底楽しんでいる。花咲政之輔に叱られてもかまわない。私は弱い人間だから。
松山晋也(音楽評論家)
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おお、アナログ2枚組。ずしりと、重い。価格は、5010円(五輪獣)。ふふ、胸が高まる。
そして針をおろし、もうこれはがらっぱちにして、知的かつエレガントな創作集であると思った。高品質なジャズ・アンサンブルやソロから洒脱なシティ・ポップな誘いまで、百花繚乱。弦音の使い方もいいなあ。もう、いろんなイケてる音楽語彙が鮮やかな意外性とともにユニティしまくり。こんなに音楽的に度量の広い、冒険の感覚にも満ちる、生理的にリベラルな表現もそうはないのではないのか。しかも、その総体は魅惑のヴォーカル/ラップ・ミュージックとして着地しているのだから! そして、そんな音楽には真実を射抜く、生理的にどろどろした社会観や言葉が必要とされるのは言うまでもない。
たとえば……。マックス・ローチは1960年に戦う肉声を入れて『ウィ・インシスト!』し、チャーリー・ヘイデンの1970年一大プロテスト・ジャズ盤『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』はワールド・ミュージック視点やサンプリング手法を活用した広がりをしかと抱え、オーネット・コールマンは異色の1972年シンフォニー作『アメリカの空』で<アメリカの空ほど政治、人種、性別の問題をはじめ激しい変化を見せたものはないが、いつになったらかつてはアメリカの空の恵みを受けていたネイティヴ・アメリカンに思いを向けるのか>とセルフ・ライナーノーツに認めた。
曲を作り、猛者というにふさわしい奏者たちを束ねる花咲政之輔は、かような先達たちと同レヴェルの創造性的バカヤローと正義を抱える。そして、今回は山ほどの諧謔とともに、オリンピック開催が氷山の一角となる世の非道を引き金となる表現創出にあたる。そこには、日本人の心の琴線にするりと入り込む濡れたサムシングも入り込む。それが、また稀有に音楽性の高いプロテスト・ミュージックにもう一つの取っ掛かりを与える。ドン・キホーテの素敵、ここにあり。
フェラ・クティは為政者との戦いが増し、そして言いたいことや告発したいことが増すにつれて、アルバムの数がどんどん増えていった。ああ、太陽肛門スパパーンの音楽がどんどん研ぎ澄まされ、より豊穣とならざるを得ないのは自明の理。また、もっともっとリリースも増えなきゃ、嘘なのである。
佐藤英輔(音楽評論家)
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映画批評家の田村千穂さんから素敵なコメントいただきました。田村さんの「マリリンモンローと原節子」は読んでおくべき著作。皆さん以下コメントを参考にして、まだ購入していない方々は今すぐ購入・聴取・討議・行動お願いします。
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太陽肛門スパパーンの2枚組LP『円谷幸吉と人間』を聴こうとしていたら、いまいましいアベマスク保管のニュースが流れてきた。何千万枚ものあの布マスクが、巨額の費用をかけて倉庫に眠らせられていた、というニュースだ。
本当に頭に来る!!
あのバカバカしい小さなおしめのようなマスクが届いた時、目にもとまらぬ速さで地獄の焼却炉にブン投げ込んだことはいうまでもない。われわれをなめくさった、鼻をかんで捨てるのもおぞましいあの不潔な布マスクよ!!
TVではユリコが中学生の娘に母親がワゴンセールで買ってくる木綿の花柄パンツのようなダサダサ布マスクをしていて、アソーは二つの鼻の穴を丸出しにした鼻マスクでふんぞり返っていて。そんなものは見たくないからテレビを窓から投げ捨てたのに、みにくい画像はけっきょくどこまでも追ってくる。
そんなうんざりする初期マスク期に、マスク=パンツ論というのを思いついた。鼻だしマスクが人をギョッとさせたり、マスクからはみ出した無精髭がなんだか妙にいかがわしい感じを与えるのも、マスクがパンツだからだと。マスクを外した無防備な他人の鼻と口が、当初はとりわけグロテスクに見えたものである。マスクは人間の顔をすっかり卑猥なものとしてしまったが、人間ひとりひとりを屁とも思わない、貧乏人はしんでよしとする棄民政策を嬉々として実践する醜悪な政治家らの顔面に引っ掛かったマスクは世にも不潔で虚偽にまみれて鼻持ちならなかったものである。冷えたパンケーキみたいな顔をした前首相のマスクの顔などそもそもそれを着けていたのかどうかすら忘れてしまったが。
本当に頭に来る。だがそんな中、マスクがパンツであるならば、最初からパンツ一丁のビッグバンドである太陽肛門スパパーンは果たして何だろう? とふと思いあたった。彼らはすでに立派にパンツ一丁なのに、さらにマスクという顔のパンツまで必要だろうか? それはともかく、白パンツ一丁で華麗にして過激で稠密で爆発的にダンスさせずにはいない、ゴージャスで猥雑で知的でクールで圧倒させるのに威圧的じゃない、そんな演奏と歌を惜しげもなくくり広げてくれる太陽肛門スパパーンというバンドは、そのパンツ一丁というスタイルだけとってもまぎれもなく先駆的であったし、ライブに行くと分かるがそのパンツはどれも清潔な洗い立てかおろしたてで、冬の朝のロシアの真新しい雪のようないい匂いがする。われわれをコケにし剥奪し骨の髄まで搾りとる人間の皮をかぶった極悪政治家どもの醜いパンツとは大違いなのだ。
『円谷幸吉と人間』は、そのタイトルのとおり、「人間ってなんだったか、もういちど考えてごらん」と音楽で迫ってくる。円谷幸吉って誰だったか、われわれが今も円谷幸吉を殺してはいないか、殺し続けてはいないか、思い出してごらんと語りかけてくる。そうして、小さな円谷幸吉のように、何もかもが嫌になって冬の布団の中にもぐりこんだままになりそうな者たちには、こう歌いかけてくる。
お花畑でお昼寝 何にもまだ始まってない
それはいつのこと いつのこと
君たちみんな悪い人 隠れるようにした私
それはどこのこと どこのこと
いつのことなのか いつのことなのか
どこのことなのか 誰のせいなのか
大きな布団の中で 息苦しい
でも 出られなくなってる 怖いよ
外は晴れやかな 青空かも しれないけど
肌を湿らす 小雨に 濡れてしまえば
素敵な気持ちになれそうな気もする少し
それは誰のせい 誰のせい
お花畑でお昼寝 何にもまだ始まってない
それはいつのこと 誰のせい
それ何とかなるよ 気合いを入れれば
「お花畑 Flower garden」
田村千穂(映画批評家)
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ライターの住本麻子さんより、太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」に関連して素敵なコメントいただきました。
皆さん、熟読玩味して今すぐレコード屋に買いに行こう!http://taiyoukoumonn.web.fc2.com/hanbai.html
住本さんのコメントは以下となります。
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太陽肛門スパパーン『円谷幸吉と人間』コメント
北京五輪が目前に迫っている。「え、もう?」「なんか早くない?」などと平気で漏らしてしまえるのは、すっかり忘れていられるということだ。一年延期の末に東京五輪が何事もないふうに開催されたことも、その頃新型コロナウィルスによる感染者数がほとんどピークを迎えていたことも、喉元を過ぎれば大概のことが忘れ去られていく。次、次と先へ進めようとする力が働いている。しかし太陽肛門スパパーンの音楽はその「先へ進めようとする」のとは逆の方向へ、強く引っ張ってくる。引き止めてくる。
今回の2枚組LPレコード『円谷幸吉と人間』では、64年の東京五輪で銅メダルを獲得するも、メキシコ五輪を前に自らこの世を去った円谷幸吉が動員されているが、「時間・場所・存在<すべて」という曲の中で円谷の愛人が「行かないで」と彼を引き止めるように、スパパーンはねっとりと引き止める。スパパーンはしつこい。「二度と離さない」のだ。スパパーンのライブへは数回足を運んだが、すばらしい歌、演奏の中には同時に、独特の緊張感というか、居心地の悪さがあった。あれはデモに参加しているときの気恥ずかしさに似ている。正しいことをしているという確信とは真逆の緊張感、プレッシャー。「オリンピックDEデート」は「デート」がいつの間にか「デモ」にすりかわるような流れの歌詞だが、スパパーンのライブ自体がデモに似ている。緊張感、プレッシャー……それでいてスパパーンの曲は暗くないどころかだんだん転調して明るくなるし、花咲政之輔の歌声も相まって、抜けるような開放感があるところもデモを思わせる。
そしてやっぱりスパパーンの楽曲はいつも物騒で、それは今回『円谷幸吉と人間』も同様だ。数局にまたがって散りばめられた「ダイナマイト、どん!」--太陽肛門スパパーンは常時われわれの喉元に爆弾を仕込んでいく。
住本麻子(ライター)
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昨年末予約した2枚組LP『太陽肛門スパパーン / 円谷幸吉と人間』が8/2に到着しました。このタイトルから内容を想像して下さい、、とか言ってしまいがちですが、これが常人の貧困な想像力なんざ嘲笑うかのような内容の怪物レコード!
レコード洗浄液で盤を浄め心を落ち着かせ、ようやく盤に針を。何年ぶり、いや十何年ぶりかに何故かドキドキしている自分が。。
2枚組でかなりの長尺物。なのに一時も耳が離せない。サン・ラもファンカデリックもザッパでさえも呑み込んだ上での心に刺さる歌の数々。伸びのある歌声。この一年、演歌と韓国歌謡しか聴いてなかった我が耳にもジャストフィット。昔大好きだったバンド「てつ100%」が久々に聴きたくなりました。
この作品は音楽の範囲を軽々と飛び越えてしまって、むしろ映画です。しかも大作10本分ぐらい!なのでこのレコードの内容について書こうとするとネタバレになりそうな気配が。一つだけ記しておくと、この物語の主人公は1964年の東京オリンピックの英雄、、或いは犠牲者、円谷幸吉氏です。しかし悲劇的な物語に終わっているわけではありません。個人的には、タランティーノ「ワンス・アポン・ア・タイム・インハリウッド」を少し思い出しました。
このレコード、政治的主張の強い難解な実験音楽とかでは決してなく、日本語圏以外の人が聴いても楽しめる要素が満載です。凄まじく密に作り込まれたサウンドプロダクション!絵画に例えるならば大胆な構図がまずあり、その上に細密に描き込まれた細部が融合している感じです。それで尚且つ歌モノとしての完成度も高いのです。LPの4面を上手く割り振った曲構成も見事!
この作品が、このタイミングでリリースされた事こそまさに奇跡。コロナとオリンピックのこのご時世に刃を突き付けています。テレビ画面でオリンピック中継やコロナ報道を流し、音声を消してこのレコードを大音量で再生する。これが現政府や政権に対する正しい物の申し方なのではないでしょうか。
花咲政之輔様 濃密なる2枚組音盤 美味しうございました。
杉本英輝(彫刻家)
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純白のブリーフ一枚で延々と繰り返される"死闘"のようなビバップのセッションに、嗚呼!これはJAZZなのかオペラなのか楽隊よるミュージカル&批評劇なのか。
ただ懸命に、一直線に逸脱しつづける前衛左翼的批評表現には、はっきり言って帝国主義者も中共もビックリだ。立て万国の労働者、座っていても良いが開演は近い。あ、あまりにも前衛だ。シュプレヒコール! 前売りはお得だ〜!打倒日帝‼️」石丸元章(GONZO作家)
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オカルトブームの火付け役であり、高橋洋監督「霊的ボルシェヴィキ」の原作者であり、近年は「ブレインマシーン」の輸入元としてレイブ/サイケシーンのヤング達にもカリスマ的な人気を誇る武田崇元さんから、9/1東京オリンピック閉会式≒太陽肛門スパパーン30周年記念ライブ(特別ゲストOLH〈aka面影ラッキーホール)に関連して、「2020東京オリンピック反対!」のコメントいただきました。以下コメントです。
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はあ、オリンピック?イルミナティの運動会がそんなに嬉しいのか?なに?「歌舞伎町の女王」が毒リンゴを配っとる?そりゃ下北沢ガーデンで太陽肛門にワクチン打ってもらう以外にねえだろ。
武田崇元(大江山霊媒衆裏棟梁。ブレインマシンKASINA伝道師。霊的ボリシェヴィキ家元。)
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JAGATARA,ビブラストーン、サヨコオトナラ等で超coolなギターを弾き、熊本県から強く正しい文明批評を行っている音楽家のOTOさんから、東京オリンピックはいらない!力強いコメントいただきました。ありがとうございます。
以下コメントです。
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「フクシマを犠牲にした東京オリンピックの開催は断固反対だ。
いまだにどこの国も出場辞退を申し出てこないのも世界の異常だ。
いまだに出場ボイコットする選手が出てこないのも世界の異常だ。
東電や政府や電通など、はもちろん異常だが、
フクシマを犠牲にしていることを考慮しないで、連日競技を楽しもうとする国民がいかに政府に調教された馬鹿丸出しかをさらけ出していて異常さが極まっている。
この異常さが気味悪い。
ナンのこっちゃい。」
OTO from Jagatara、ビブラストーン、サヨコオトナラ
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批評家/HEADZ代表の佐々木敦さんから、9/1@下北沢ガーデン 東京オリンピック閉会式≒太陽肛門スパパーン30周年記念ライブ(特別ゲストOLH〈aka面影ラッキーホール)に関連して、「2020東京オリンピック反対!」のコメントいただきました。ありがとうございます。
以下コメントです。
東京オリンピックが決まったとき、今は亡き某雑誌のアンケートに寄せた私のコメントは、たった一言だった。
「愚の骨頂だと思います」。
今も、いや、むしろますます、そう思っている。
佐々木敦(批評家・HEADZ代表)
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批評家の絓秀実さんから、9/1@下北沢ガーデン 東京オリンピック閉会式≒太陽肛門スパパーン30周年記念ライブ(特別ゲストOLH〈aka面影ラッキーホール)応援コメントいただきました。ありがとうございます。コメントは以下です。
「令和」改元の騒擾はTVを消し新聞を捨て、ネットを見ないことで凌ぎえた。来る五輪パラリンも同様にして何とか凌ぎうる。しかし、太陽肛門スパパーン30周年記念ライブはTVでも新聞でも報道されまい。つまり、行くしかないのだ。
-絓 秀実(文芸批評家)